サッカーで飯を食う!
『海外トライアル』特にヨーロッパトライアルチャレンジを念頭に起き、個人のキャリアに力を入れプレイすることを考える育成。
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国際移籍

2017.04.07更新
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あまりサッカー選手として大きな結果を残せていませんが、それでも色んな場所でサッカーが出来ている事には感謝しています。そして、その所々で色んな問題が発生したり、試合に出る為に解決しようと努力してきたという自負はあります。

今回は移籍が完了して試合に出るまでの間の話をしたいと思います。

今までも、特に海外で生活をしている時のが、多く辛い問題がありました。

キプロスキャンプで契約書を見せられて八百長があると中国人オーナーに言われた時、新潟では、自国で自分の言語なのにブラジルと全く違って日本のサッカーに暫く馴染めなかった時、モルディヴで4~5ヶ月一切給料が出なかった時にパスポートを取り上げられて帰国できなかった時、ペルーのクスコで標高3900Mで試合をしてダッシュ2本で鼻血が出た時、ボリビアのラパス付近で飛行機が揺れすぎでなぜか酸素吸引の器具が上から降ってきた時、その後サンタクルスでコカインを持っていないか?と別室に連れて行かれた時、ブラジルでタッチラインを割っているのに陸上トラックでスライディングされた時、ブラジルで半年で4回監督が変わった時、ブラジルでバスジャックや強盗にあった時(3回)、パラグアイで1試合500ドルで試合に出れるよと監督から電話番号をもらった時、チリで変な占い師もどきに騙されそうになった時、ブラジルのプロデビュー戦で目の上をエルボーされて、ハーフタイムに麻酔がなくて(効かなかったのかは覚えていない)、直で数針塗った時、ペルーのリマで代理人がクラブのフレンドリーマッチの収益を持って逃げて、選手の僕にとばっちりがきた時、インドのカレーが毎日辛かった事、FC岐阜の練習生として参加していた時、軽い脳震盪になって当時の監督ラモスさんにロッカールームで『ワタシノコトコトダレカワカルカ?』と聞かれ、思い切って横にいた『アレさん(三都主選手)』と答えて『ジョウダンジャナイヨ、ナニイッテル』とあっさり言われた事(その後はみんなで爆笑)

もう他にも数えたらキリが無い程あるんですが、今回の件はこの中でも一番きつかったなと思います。

今、僕はリトアニアという国に来ています。

なぜかというと、日本でトレーニングをしながら次のサッカークラブを待っている中で、リトアニアの2部のクラブが練習参加をせずに、映像だけですぐに契約をしてくれるという話があったからです。

税関を通る時もクラブが出してくれたオフィシャルの書類を出してもらっていたので片道チケットでもすんなり入れました。(今回は成田空港で片道で入国できなかった場合の誓約書を書かされた)

空港に着くと、自分より背の高い片言の英語を話す白人男性が待っていました。

彼の携帯電話をすぐに持たされ、クラブの社長と話するように言われました。色々とヒアリングをされた後、その日はホテルに泊まり、翌日の朝そこからバスでさらに200キロ離れた場所に向かってくれと言われ、バス停で降ろされました。こっちの人々はロシア語とリトアニア語なので田舎に行くと英語なんてあまり通じません。文字も英語では無いので苦労します。ここまでしてサッカーを頑張ろうという気持ちはどこから来るのだろう?と自分でも思う時があります。

数時間後最寄りのバス停に降りるとクラブ関係者が待っていました。事務所にいき、サインをするのか?と思っていたら、練習をしてくれ!と言われました。その2日後練習試合に出てくれ!と言われました。僕は契約してからじゃないと試合には出たくない!と話をしましたが、『は?』ぐらいで終わりです。外国にいると自然と分かるようになる変な空気を感じました。

テストに行っているのと即契約ができるというのでは話も違うので行動も変えていいと思うし、いうべきことは言わないといけないと思います。

それでも我慢し、当日の練習試合に僕が出た時間は7ー10分ぐらいです。僕はDFなのですが、FWとして出場しました。それでも、絶対に点を取ってやろうと思っていましたが、試合の流れもずっと押されていて2回ロングボールに対してヘディングをしただけでした。

その試合後、ホテルのドアを関係者にノックされて呼び出され、『今日中に帰ってくれ』と言われました。飛行機で15時間以上かけてきて、バスで数時間かけて、この結果。。。

2秒だけ冷や汗をかいて、どうしようと思い、まず考えたのは24時間ホテルで時間を作る事。そこでまたアイデアを出せばいい!と思い、

『お母さんにこの件を報告しないといけないけど、時差の関係で今日は無理だから明日にしてください』とクラブ関係者に訳の分からない言い訳をし無理矢理時間を作りました。海外では日本のようにお父さんという感じではなく、お母さんのが重宝されている気がするので、こういった緊急事態は母親が登場します。

そこで、今までのチームメイトや、弊社の海外のパートナーの長岡郷にも連絡をしたりしました。

そこで出て来た選択肢は2つ。

まず一つ目はパラグアイ時代のチームメイトからエクアドルリーグでの練習参加の話。

そしてもう一つは、リトアニアリーグの1部が開幕していたけど早速補強ポジションが一致したクラブ。

僕は、今年まだどこのクラブとも契約していないプロのサッカー選手というスペックなのでリトアニアリーグ1部と契約する権利がありました。

後は、この引き伸ばした時間で出て来たものに対して、決断する事が必要でした。

聞いた話ではエクアドルは給料のアベレージが凄く高く南米のハイレベルなリーグでサッカーができる事。そしてスペイン語が使えるので言葉の壁もそこまでないのでかなり魅力です。

リトアニアはすでにその国いて、このホテルから1時間半で移動ができる事。

飛行機代もいらず(今回は自費)テスト生として参加できる。でもリトアニア語もロシア語もわからないし、給料的な魅力もエクアドルと比べても正直低い。

生活水準を下げて、チャンスを伺うという感じ。

物価がかなり安いので海外でのハングリー精神みたいな感じでは全くないんですけど。。。

さすがに1日にで決断する事が出来ずに、そのままホテルに継続して滞在しました。幸いにも試合が土曜日で日曜日はOFFだったのでクラブ関係者も来なかったのは救いでした。この街は人口も2万人ぐらいの小さな町で住まいを見つけるのも難しいところでしたから。

この日曜日の24時間以内に決断する事を目標にしていました。

(全然別の角度からですが、僕は切り替えが早いのか、なぜ2部の契約の話がなくなった事に対してイラつかないのかは自分でも不思議に思います。本来ならば、おかしいでしょ?みたいな感覚がもっと出て来てもいいと思うのですが、おそらく一瞬だけでした。日本じゃないから!と割り切って生きているからなのかもしれません。はっきりは全然わかりません。)

僕は、プロになれた場所が南米のブラジルなので、南米でチャレンジしたいとずっと思っていたのですが、パートナーの色んな意見もあり、数日間チャレンジしてもいいと思うようになり、そして翌日にはバスに乗っていました。

現地に到着後、いかにもヨーロッパという僕のイメージ通りの方が待っていました。

そして、どこのホテルに連れて行かれるのか?と思っていたら連れて行かれた先はなんと外国人が住んでいるリビングのソファでした。

さすがにそれはイラッとしましたが、20歳の時、ブラジルの選手寮に入り裸電球だけしかなかった6畳の部屋を2段ベッドで4人シェアしていた事を思い出し、1週間我慢して、契約できたら別に問題もないとも2秒後に思えました。(ただ、ここでもここまでしてサッカーする意味はなんなのか?その2秒で思いました)

さすがに外国人の住まいは大きくて凄く綺麗なのでソファで寝る以外は問題もなかったし、そこでベラルーシ人とグルジア人と住みました。今まで30カ国以上に行きましたが、2人共初めての人種でご飯にヨーグルトをかけるスタイルはグリークだけではないのか?と自分の状況を忘れるほどの衝撃でした。

『食べる?』と誘われ口にしたけど、味は砂糖なしのヨーグルトの味しかしません。

話が逸れましたが、今回の練習参加期間は、たまたま国際Aマッチが重なった事もあり練習試合に2試合出してもらい、その2試合目の後に呼び出され契約書を提示してもらえました。

僕がいるクラブは、バスケットクラブもあり、バスケットはヨーロッパでも有名なクラブで、設備はサッカーとバスケット兼用のところもあります。Jリーグのトップクラス以上の施設とも言えます。サッカーはまだ歴史も浅いので事務所もバスケットスタジアムの一角にあり2万人を集客できるアリーナでの契約になりました。

(因みにサッカー専用のトレーニング施設も凄い。天然芝3面、ジム、人工芝1面、屋内フルコートピッチ1面、大型バス、wifi付き、スタジアムでの食事もフリー)

 

このクラブのGMはロシアのアンジハマチカラやスコットランドのレンジャーズチャンピオンズリーグに出たり、で中村俊輔選手とグラスコーダービーにも出ている方で色んな話も出来、これから仕事をしていく関係にもなり、凄く嬉しかった。こういった出逢いはサッカー選手の特権と言っても良いと思う。だって、グラスコーダービーの凄さは日本人なら中村俊輔さんにしか聞けないと思うから。。。

またもや話が逸れましたが要約、サッカーチームも決まり、住まいも9回建の9階の良い住まいを提供してくれ、家政婦さんも1週間に一回入ってくれるし、後は頑張ってサッカーをするという理想の流れでした。

ここからです!!

プロサッカーの国際移籍にはITC(国際移籍証明書)が必要になります。これが登録されないと試合に出場は出来ません。

移籍先のチームが、所属協会を通じて国際移籍証明書の発行依頼を打電し、それを移籍元のチーム及びサッカー協会が受理する。その依頼書に記載された内容に誤りがなければ、サッカー協会により国際移籍証明書が発行され、選手の移籍は正式に執り行われる。

これをITCと呼んでいます。

通常1週間ぐらいで手続きが完了するのですが、僕の場合ここに問題がありました。

僕の前所属クラブは、オーストラリアのクラブです。そこでの契約の事に触れると、2015年の11月から労働ビザ取得を目指していましたが、契約条件で12月まで引っ張り、そこから手続きを開始するとシーズンに間に合わない状況になりました。

なので緊急で、ワーホリのビザを取得してサッカーの試合に出場するというパターンに切り替えて、3ヶ月ぐらいかかる労働ビザの話から一転、三重県からすぐ都内に向かいメディカルチェックを受け7日間でオーストラリアのメルボルンに到着しました。

なので契約内容も、アマチュア契約にして欲しいと言われたのですが、契約をアマチュアにすると後々移籍でややこしくなる知識が事前にあったので、それは無理ですと言うと『NON AMATUER』と言う契約内容で落ち着きました。シーズン途中で再度契約書を見直してプロ契約に変えてもらうと言う流れだったのですが、チーム状況や自分が怪我をしてしまった事を考えると立場上強く言えない状態にあったので(そしてアマチュアではないと言う契約書を持っていた)そのままにしてました。

本来契約とチーム状況は一緒にしてはいけないのですが、選手は立場が弱いので中々のパーソナリティや結果がないと言えないので本音です。

そして、今回ITCの一連の流れを待っていて、返って来た回答は

『君はアマチュアの選手なので試合に出れる権利がない』と言う事でした。

僕が来ているリトアニアリーグの移籍の条件は『どこにも所属していないプロ選手』である事。

前所属クラブは僕の登録をアマチュア選手として協会に提出していました。

なのでリーグ登録する権利がなくなりました。

凄いショックでした。

前所属クラブの契約書のコピーを持って、アマチュア選手ではないとリトアニアサッカー協会と新しく契約してもらったクラブに主張すると

ITCの登録をシステム上でオーストラリア側が変えないと無理だから向こうに話して』と言われました。

すぐに前所属先のGMに連絡をすると協会に確かめてくれるとのことでした。その間はさすがに眠れず、現地との時差もあるので、夜中まで起きている日が続きました。そして返って来た答えは同じ。

『君はアマチュア選手だから100パーセント変更出来ない。君には残念だけど今回はサポートできない』とオーストラリアサッカー協会からの回答がきていると前所属クラブのGMに言われました。

すぐに僕は『NON AMATUERです』(アマチュア選手ではありません)と添付資料(契約書)を出すと、そこから答えは全く返って来ません。

このまま、これだけ頑張った事を流してしまうのはもったいないと思ったのと、この時期に他のクラブにも練習参加自体が難しいということは、夏の移籍まで約半年サッカーチームに所属できないのは本当に凄くショックだった。今までこんなにサッカークラブが決まらなかった事がなかったので、9ヶ月ぐらいサッカーの公式戦から遠ざかるのは少しビビりました。

でも、今までサッカー界の汚い部分を何回も見て来たので、100%無理と言われても、自分で確認するまでは努力をした方がいい。何か引っかかる部分もあったし、なんか変な勘みたいなものも働いたので、まずFIFAで調べた。英語ですごく難しいPDFファイルがネット上に出ている。でもやるしかなかった!もちろんこの件に協力していただいた方もいるしアイデア提供して頂いた方々もいるので今回の件には凄く感謝しているし、サポートしてくれる人が日本人だけじゃなく、色んな国にいたことも今となってはかなり心強い。(これは本当に僕が今までサッカーというツールで築いてこれた宝物。元チームメイトを超えた関係になった選手が何人か世界各国にいる。だから言語レベルも年々上がっているのかもしれない。)

そこで探していたら、FIFAの規則は『NON AMATUER』と言うワードが規定に定められていない事がわかった。

FIFAには原則アマかプロしかない。

だからそこをクラブ側はアマチュアと主張し、僕はプロと主張していた事もわかった。これはどっちにも持って行けるグレイゾーン。

そこで重要になってくるのがプロサッカー選手としての定義。

それは、簡単に言うとお金。そこの部分でアマチュアかプロになるかが変わる。

僕の場合オーストラリアで

給料

一軒家(庭付き)

車 (オーストラリアではよく走っているFORDTERRITORYが支給だった)

年金(オーストラリアは給料の約10%だったか、会社側が労働者に対して積み立てないといけないルールがある)

保険

が契約内容に入っていた。

そして、聞いた話だが、僕がもらっていた給料はアマチュアプレーヤーの限度額を上回っていた事。

これがプロサッカー選手として活動していたしっかりした証拠になると言う事。

なので契約書のコピーとあらゆる書類を直接オーストラリアサッカー協会に提出し、プロ契約に変更する義務があります、と主張した。

そうすると、今度は何故か元オーストラリアの監督から連絡があった。鬼電。そしてメール。彼は今サウジアラビアで仕事をしている!!

『まず君の携帯代を支払う』

謎。。。。。

実は僕、オーストラリアに行ってから10日ぐらい現地銀行の書類が整わず携帯を自分の名前で購入できず、監督の名義を使って支払いだけ後に自分の口座から引き落とされるようにしていました。

で、帰国する前にキャンセルの手続きをしに携帯ショップに行くと僕の名義ではないので、当然キャンセルはできないと言われ、監督に伝えるとOKと言われながらもう5ヶ月が経過していた。合計で500ドルは超えていた。監督に連絡しても既読スルー。僕はまたここで、サッカーの汚いところや人間的に汚いところを感じた。

『なぜこのタイミングで携帯代を払ったのだろう?』とかなり考えた。

そしてそれをなぜか聞いた。すると後々、彼は本題に触れて来た。

『アマチュア契約のままにしてくれ』

僕はオッケーとだけ伝え直ぐに電話を切った。でもオッケーな訳ない。試合に出れないから。

この携帯代を先に払って僕の主張を聞いたのだからこっち側の主張も聞いてくれ!!

その為の携帯代。日本ではコテコテなドラマぐらいしかあまりないかな?でも、実際にこんな要求もしてくる。

これも一つの交渉術なのかもしれません。

アマチュアの限度額を超える金額を選手に支払って、アマチュアの金額を協会や税務局に提出しているということはこれは不正じゃないのか?

これをプロに変更することによって不正が公になるんじゃないのか?

そんな想像ができるようになった。

ただ、僕は僕で、今後のサッカー人生を充実させる為にも友情(元監督と前GM)よりもキャリアの優先する必要がある。

だからFIFAの規則からプロの変更にしてもらうよう、クラブ側を通り越して再度強めの要求をオーストラリアサッカー協会にした。

すると数日後、再度前所属クラブGMから電話が鳴った。

『君の書類をプロ契約に変更するようにオーストラリアサッカー協会にお願いしている』

そして、続けて

『おそらく、僕は現職を失うことになり、罰金を受け、リーグ戦のポイントを減らされるか、リーグのカテゴリーを落とされるか?何か制裁を受けることになるだろう』

と話していました。。。。確実ではないにしろ、聞くだけでもかわいそうな話です。

去年、彼らの家にまで呼んでくれて、一緒に彼らの家族とも食事をした中なのに、携帯代を急に払ったりアマチュア契約にしてと言われたり、嘘を押し通されたり、すごいショックですが、これもまたサッカー!!そうやって納得をして先に進まないとプレーヤーとしては先に進めません。あいつがこんな事をして来た。また違う奴はこんな事を思っている。そんな事を気にするようなメンタリティであれば、サッカーをいずれやめないといけません。

僕は、こういった相談事は基本的に仲の良いブラジル人かスペイン人に相談するようにしています。

日本人の友人に相談すると国民性なのか、相手を気遣う気持ちがすごく強いのか?逆にいうと弱いのか?何か自分が悪い事をしている気持ちになる時があります。(サッカーの件に関して)

そして、『僕は誰の職を奪う事はしたくないけど、自分のキャリアは優先させないといけない。君たちが最初に、アマチュアにしてくれとお願いしてきたように(今回はリーグ登録を諦めてくれ)、僕も協会にプロとしての登録をお願いします』と最後に伝えました。

だから、少なくとも2人との関係はこれを機に無くなってしまうかもしれません。

サッカーは良い時もあるけど、人間的に信用できなくなる時もある。それは良い時の分、もしくはそれ以上にあるかもしれない。でもそれはお金のかかっていることだから仕方のないことも理解できる。

僕は今、会社を立ち上げてスクール生や社会人のプロジェクトにも頑張っています。彼らのためにも諦めるわけにもいかなかったし、しっかりしないといけないし、今回の決断も間違っていないと思っています。語らない事が美学とか、このレベルの話を人様にするのは申し訳ないと思っていたけど、何か一つの大きな目標を達成させようとする過程で、必ず『人としての個人のキャリア』は形成されていく。これはサッカー選手としてではなく、一人の人間として。僕は偶然にもこのサッカーボールを使って出来る事に気が付いただけ。だから、選手として活動している間に始める事に意味がありました。

この目標に向かって行動を起こして行くと、何でもできるようになることを僕は今、会社の代表としても、小さいネットワークからでも伝えていかないといけません。

サッカーをしたいから試合に出る為にサッカー以外の努力をしないといけない。この努力は無駄にならないと信じているし、サッカー界で生きていく事をリタイアしても、別のエリアで頑張れると思います。

そんな人材を求める企業の人事部の方々も必ず地球上にはいると思うし、国際化が進んで行く中でもっと需要が出てくる、そしてニーズにあった人材が僕達の団体から輩出されて行く事が、サッカーへの恩返しにもなると思うし、社会への貢献にもなると信じてやっていきます。それがサッカーボールを使った人格育成、個人のキャリアの形成です。

これを一つのプロジェクトとして、三重県からスタート。まずは日本でチャンスが少なかった選手が活躍の場を海外に移す。目標へのアプローチの角度を変える。支えてくれるスタッフもいるし、賛同して頂いている企業様もありがたい事にあります。このプロジェクトに夢を持って三重県までやって来た選手も10人以上いる。

もっとみんなで努力して、周知されるような団体に変えて行きます。

今回の諦めなかった姿勢だけはvencedor(ポルトガル語で成功者)だと思う。絶対に諦めたらあかん。

色々長くなってしまいましたが、その翌日にオーストラリアサッカー協会からメールが届き、その日のうちにリトアニアサッカー協会に登録もされました。

そして、昨日90分間試合に出ることができました。

今からはまた新しい真剣勝負の競争があるので厳しいけど毎日が楽しいです。こういった経験をいつか活かしたいと思い、活動しています。特にアジア人選手を01にしてあげれるような環境になればと思います。

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